以下、抽象的極まりないですが。

なるべくなら読み飛ばしましょう。

意見が真っ向から対立するようなときってあるけど、理屈の正しさなんてほんと、どっちにもないよなあ、、、と思う。今まで色んな議論を聞いたり自分がしたこともあったけど、破綻してない議論なんて一度もなかった。どんなにたくさんの証拠をどんなに精緻な論理で紡ぎ並べても、結局のところ、一番最初のインプレッションが原動力になってるってことに例外はない気がする。

だから人はたぶん、自分の考えの正しさを主張したいんじゃなくて、自分のむずむずするような感覚的なもの、右足から踏み出すか左足が先か、くらいに無意識な取捨選択の感覚の正しさを証明したくて、自分の考えというものを必死こいてつくりあげるのだと思う。原始時代、獲物を追っているとき、もしくは、猛獣に追われているとき、どの獲物をまず仕留めるか、右と左、どっちに逃げるべきか、たぶんそのくらい本能的に近いレベル。

同じ町も、自分が幸せな気分のときに歩けば好きな町になるだろうし、どんぞこの気分で歩いたらきっと二度と訪れたくないだろう。当たり前だけど、立ち位置によって風景はまったく変わるように、同じ言葉をめぐる解釈の幅なんて無限大(180°?)。

じゃあ、意見の違う人どうし、話し合ったりする余地は一切ないのか?

それを言っちゃあお終いなので、僕が思うのは、お互い、もうちょっと、綺麗な言葉遣いはヤメラレナイノカ、ということ。
どっちの立場にしても、論理破綻しまくりでろくでもない自分の信念を守ろうとがむしゃらに喋ってる自分のみっともなさをもうちょっと認識してもらえないものか、と思う(自分も含めて)。その、いびつでみっともない部分に沿ってもうちょっと素直に自分の考えみたいなものを積み重ねていくことができたら、もうちょっとマシなものに、、、って何がマシなのかよくわからんけど強度みたいなものか?

お金をとっているわけではないとはいえ、自分でも読み返す気も起きない文章を曝してしまったことに後悔もありますが、今日、知識抜群、頭脳明晰、経験豊富、人間的にも親しみを覚えている猛烈タカ派の人と9.11以後の雨梨佳とかのことについて真っ向から対立する話をした関係で、ガス抜きせんと寝れそうにないのでどうかご寛恕のほどを。

ほそく:
これは、簡単に言ったら、9.11囲碁の米日の動きはどうなの?という話から起こった話。
僕はASA日、3経で言ったらA日の方だけど、ASA日側の人も(相手もだけど)、自分が正しいって信じてるばかりで、本当に鈍くてぬるい意見しか言ってないように思えて。

まあでも、つまるところ結局、人間は一応自然から離れて「文明化」(と呼ばれているもの)している関係で、そういう言葉というカタチを借りて仲間内で生存競争してるってことなんだろうな、と思う。

昔、何かで読んだんだけど、

言語の起源について。

「言葉は、メスを口説くために生れた」

暴走しがちだけど。

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