12月14日の日記
2004年12月14日とりいそぎなるはやで。
(↑最近話題の(?)「大人語」っぽく。)
『ためらいの倫理学』、ひきつづき読。
刺激的な部分や共感する部分が多く、面白く読んでいるのだが、ときどき、「無謬性」や(絶対的な)「正しさ」みたいなものをもっとも嫌う彼の考え方自体があまりに「正しすぎ」て不安になってくる。「方丈記」ではないけれど、流れる川の水の粒子一つ一つは全て違うものでも、同じ川、水流であることは変わらない。彼のとった川のほとりのそのポジション、戦法はちょっとズルイんじゃ…というのが今のところの「客観的な」感想(なんてものはありえないけど、批判しようという人は、そこのところを突くかもなあ、という意味で)。個人的には(とても僭越な言い方だけど)応援したい、という気分。ついつい、「何か正しいこと(もしくは間違ったこと)を言ってる」ように思って読んでしまうけど、この本から汲み取れる何かは、一応学者っぽく語られる「論」の中ではなくて、語りの流れの中にあると思った。点よりも線、100M走よりもジョギング、というイメージで。
(↑最近話題の(?)「大人語」っぽく。)
『ためらいの倫理学』、ひきつづき読。
刺激的な部分や共感する部分が多く、面白く読んでいるのだが、ときどき、「無謬性」や(絶対的な)「正しさ」みたいなものをもっとも嫌う彼の考え方自体があまりに「正しすぎ」て不安になってくる。「方丈記」ではないけれど、流れる川の水の粒子一つ一つは全て違うものでも、同じ川、水流であることは変わらない。彼のとった川のほとりのそのポジション、戦法はちょっとズルイんじゃ…というのが今のところの「客観的な」感想(なんてものはありえないけど、批判しようという人は、そこのところを突くかもなあ、という意味で)。個人的には(とても僭越な言い方だけど)応援したい、という気分。ついつい、「何か正しいこと(もしくは間違ったこと)を言ってる」ように思って読んでしまうけど、この本から汲み取れる何かは、一応学者っぽく語られる「論」の中ではなくて、語りの流れの中にあると思った。点よりも線、100M走よりもジョギング、というイメージで。
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