追伸。

2005年10月6日
あるブログに対するコメントを斜め読みして思ったこと。

なんでもいいんだけど、それを「知的に」理解しようとしている限り、それは絶対に理解できないだろうと思う。

本当に何かを理解し、それを的確に言葉で表現し得ている(と僕が思う)人というのは、ナニも、「正確な」「言葉で」「分析し」「理解する」ことを目指し、無味乾燥な概念図の中に整理整頓をして「満足」しているのではなくて、ただ、溢れる「想念」みたいなものを、誠実に「言葉で」「拾おう」としているだけのように見える(なんか、カギカッコばかりで、橋●治みたいになっちゃってアレだけれど)。

つまり、一気に飛躍するけど、言い換えれば、言葉の信頼性、説得力、浸透力、あるいは本当の意味での正確性、もっといえばその言葉の持つ価値というものは、対象に対する愛情とか情熱みたいなものの総量で決まってくるのではないかという気がする。対象が外部にあるのか、内部にあるのかの違いと言ってもいいかもしれない。

本人、悪意はまったくないのだろうが、概念操作に汲々としている人を見ると、一瞬でイライラがMAXに達してしまうという、我ながら悪い癖だと思う。

人の話を聞きたければ、もっと勉強して出直してきなさい。

他人事ながら勝手に(代弁して)思う。

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