辞書を引き引き英語で書いてみたけど、要はつぶやきです。

脈絡もなくぼんやりと頭に浮かんだことを備忘のために。

「与える側」と「与えられる側」。
世の中は本当にそんな単純な関係で成り立っているのだろうか。
与える「何か」の質と、与えられる側の命運(大袈裟;)は、よくもわるくも「与える側」が握っているとすれば、自分を「与える側」に位置づけることは、一見、責任を自ら積極的に引き受けようとする潔い態度に見えなくもない。

でも、本当にそうなのかな。

カッコいいヒロイズムはさておいて、こんな見方はどうだろう。

「奪う側」と「奪われる側」。
僕たちは奪う権利を誰もが持っている。
「与える」ことに悩んでいるヒマがあったら、なりふり構わず略奪すればいい。
僕たちは決して、「与える側」(=表現する側)であるだけでもなければ、「与えられる側」(=受け手)であるだけでもなく、「奪い取る側」(=読み手)でもあるのだ。
どんなものから何をどれだけ読み取ろうが(人様の迷惑にならない限り)自由なのだ。

その権利を行使することを放棄して、「与える側」に身を置いて満足していられる人というのは、きっと、よっぽど責任感溢れるノーブルなプライドを持っているのだろうな、と思う。それはそれで、僕にはとても真似できない立派なことだと本気で思うけれど、少なくとも今の僕は、与える側に身を置いているというプライドよりも、無責任に世の中から色々なことを「読み取る」ことの方が楽しいし、それだけでいっぱいいっぱいである。

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