愛読ブログを読んで、慣れない「ビジネス」についてあれこれ考えたのだが、結論らしい結論は出ず。

でも、最近、仮にもビジネスマンの物真似みたいなことをやるようになって、感じることがひとつある。

それは、なんていうのか、最近、あらゆる領域のビジネスにおいて、商品の「使い勝手」とか、「しっくり来るか」、「馴染んでるか」とか、そういうものがどんどんないがしろにされてんじゃないか、という問題。

商品っていうのは、もちろんいわゆるモノだけじゃなくて、サービスとか情報とか「売り物」全てのことだけど、結局、たとえばケータイの機能なり、情報やサービスが流れる経路なりの全てが必要以上に過剰(同語反復?)な気がするのです。あ、これは橋本治さんが書いていたことと一緒だけど、「ほどほど」とか「身の丈」とか、そういうものが「どうでもいい」って扱いになっているような気がして。

例えば、初代のファミコン(わからない人は近くの優しそうなお兄さんに聞いてください)。
あの、ボタンを連打するときの、「カチャカチャカチャ」っていう感触(ゴムボタンタイプはまた違う感触だったけど)は、当時ファミコンで遊んでいた人なら、今でもみんな覚えているんじゃないかと思う。

でも、今、たくさんの人が毎日使っているケータイが、そういう「触覚的記憶」みたいなものを10年後、20年後まで残すか、っていうと微妙な気がする(最近のゲームはよく知らないのでケータイで例えます)。モノの感触に限らず、広い意味での「身体感覚」みたいなもの。「(広い意味での)端末との摩擦」みたいなもの。そういうものがなくなっていくのは、個人的にはとっても寂しい。

いや、「摩擦」がなくなるのが寂しいのではなくて、必ず商品との接触がある以上、何らかの「摩擦」はあるんだけど、その感触みたいなものが「どうでもいいこと」として扱われていることに違和感を感じる、と言った方がいいかもしれない。

要は、話を強引にまとめると、ちょっと話が飛ぶような気もしますが、「売れる」ことはもちろん大事、というか全ての大前提なんだけど、そこからもう一歩進んで、日常の生活に自然に溶け込む、人々の記憶に何らかの形で残る、というようなことを、商売をやっている人間はもうちょっと考える必要があるんじゃないか、というような。しかも、それが、ただ「ヨコの競争に勝つだけでなく、タテの深さの問題」ってだけじゃなくて、「タテの深さがヨコのつながり」に広がっていくようなそういう商品だと素晴らしいなあ、と思う。

個人的には、自分なりの分野で、そういうことを地味ながらやれればいいなぁ、と思ってます(風呂敷広げる分にはタダ)。

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