1月19日の日記

2006年1月19日
■雑感
なんかようわからんけど、色んな人に言われていることでもあるけど、やっぱり、金の使い道が特に思い浮かばないのに金を稼ごうってモチベーションをもてる人の気持ちがいまいちわからん。同じゲームっていうんだったら、競馬の方がよっぽどいい。あれは、大勢が正しく賭けたとしたって、決してそれで損をする人は出ないから。倍率が下がって儲けが減るってことはあるけどさ。

株とかはやっぱりそうじゃない。
プレイヤーみんなが、正しい(儲かる)株投資をするってことは理論的、ちうか原理的にありえない。要は「出し抜く」が全ての世界。「まあ、その方がゲーム性は強いとは思うけれど…。

なんていうのかな、ゲームを楽しみたいんだったらさ、もっと内輪でやってくれよ、って僕は思う。また競馬で例えてしまいますが(ちなみに僕は一度も馬券を買ったことがないのですが)、いくら競馬に狂おうが、儲けようが損しようが、家族とかは迷惑かもしれないけど、基本的に世の中には何の迷惑もかけていない。

でも、株式投資とかハゲタカ何とかってそこが違うと思う。

あんたらはゲームのつもりかもしれないけど、マネーゲームで左右される駒のそれぞれに生身の生活みたいなものがある。上場すること自体、たしかにリスキーだし、「安易だ」「脇が甘い」っていう批判もあるけど、何も、「マネーゲームの駒」になるために上場するわけではないだろう。何かをするために資金を集めようとする人より、そういう人をマネーゲームの駒として売り買いする人の方が正しいって考え方は、何かが根本的に倒錯してるとしか思えない。

自分の力で世の中動かした、とか、世の中の動きを掴んだ、うまく乗った、みたいなことに”達成感””存在証明”的なものを覚え、そのことによるマイナスの波及効果みたいなものにむしろ更なる”達成感”を感じる愉快犯。僕には彼らがそんな風に見えてしまいます。

ヒルズ族がよくホームパーティとかで集まるっていうのは聞くけど、それって滅茶苦茶内輪の集まりだと思う。評価っていうのは、本人にとっていくら理不尽でも、(価値観的、コミュニティ的、時間的な意味での)「外部=他者」からされてこそまっとうだと思うんだけど、そういう意味で、彼らは「評価」なんて望んでないだろうな。だから唯一グローバルスタンダードである(かに見える)マネーにしか興味がないんだろうな。ハナっから。いや、違かったらゴメンナサイ。想像でもの言ってます。

とにかく、いま、この瞬間、他人を出し抜くこと。

正直、自分自身興味はないけど、なんでそんなに面白いと思えるのか、にはぼつぼつ興味がある。

追記:
書き忘れてたけど、くるりのニューアルバム(といっても出たのは結構前?)、すごくイイです。いい感じに肩の力抜けたロック!いつも帰宅後にかけはじめて途中で終わっちゃうので、まだ最後まで聴いたことないけど。

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