2月19日の日記
2006年2月19日■こんな本を読んだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163678204/10000kmnokana-22/ref%3Dnosim/250-6740792-4982611
ワインについての知識はもともとゼロなので、これを読んでも、知識的な部分についてはちんぷんかんぷんだった(この本が難しいというより、基礎的な用語とかも全然わからないので内容が頭に入ってこない的な意味で)。
でも、そんなことはどうでもいいっていうくらい、全部で8人の、イタリアのワインのプロ(醸造責任者や葡萄の栽培責任者など)たちへのインタビューがすごかった。というか、この本は、むしろ、ガイド本というより、8つのインタビューが肝だと思います。
8人のヒトが色んなことを語っているのだけど、それを無理やり一言に集約させれば、「ワインは(葡萄からできる)農作物であり、その葡萄が育った土地、気候から生れるものである」ということ、だと思う。
それって当たり前のことみたいだけど、インタビューを受けたどの人もその部分にこだわりを持っている、というか、それをしごく当然のことと認識してるってことに感銘を受けた。日頃、地球が土で覆われてるってことも忘れてるな、と思ったり。
以下、ワイン職人たちの言葉の中から、感銘を受けたもののごく一部を抜粋。
・ワインを飲めば、その場所がどんな所かは大体想像がつくようになった。
・葡萄の木はワインを造るために生きているのではなくて、種を守るために生きている。だから良いワインを造らなければ自然=葡萄に対して失礼だと思っている。
・土地はお金や利益を生み出すために所有するものではない。”何か”を生み出すために使われるべきものだ。
・(葡萄と土地の相性が)本当に良いかどうかは、あと50年くらいしないとわからないだろうね。
ラベル(というか銘柄、名前)は同じでも、収穫年、熟成期間によって味が全然違ってくるし、同じ葡萄の品種でも育てる場所によって変わってくる。当たり前のことかもしれないけど、改めて、世界中に流通してて、僕なんかが飲んだりしてるものの中に「そういうもの」があるっていうことがすごいなと思う。
追記:
この本は、そういう意味で、今流行の(?)ロハスとか、スローフードとか、(反)グローバリゼーションみたいなことについて考えさせられた(というか、そういうことについての日本とイタリアの違い、みたいなことばかり考えながら読んでいた)。なんでか、彼らイタリア人の言うスローフードにはリアリティを感じるだけど、日本人(NPOのヒトとか)が言うスローフードって、こう言っては悪いが信用できないんだよな。なぜだかあんまり友達になりたくないタイプが多い。代官山のおしゃれカフェで「地域通貨」について熱く語られてもなあ、というか。理念自体、否定する気はないんだけど、日本でそういうことを語るのはすごく難しいと思う。
■滋賀の幼稚園児殺害の事件。
眉をしかる前に、事件についてもっと詳しく知りたいと思ってしまうのは不謹慎なのだろうか。
■
今日、品川区のとあるエリアを歩いた。
「すぐに引越す」というわけではないのだが、この辺はどうかな、と引越し先候補のひとつとして偵察散歩を試みたのである。
そのエリアは一体にはとてもどんよりした空気が流れていて、言葉は悪いが、都心にあって打ち捨てられたような雰囲気をもった一帯だった。行政区画としてではなく、街の雰囲気、建物、がはっきりと外部から線引きされているようなエリアだった。周囲から隔絶されるように落ち窪んだ地形、荒れ放題の小さな林、朽ち果てた木造家屋、隠れるように佇むS学会の施設、街灯の数も極端に少ないetc。。。街の来歴みたいなものが気になって色々検索してみたら、「法律の規制云々のため検索結果が削除されました」といった表示が出た。不可解。横山源之助の著書にも出てきた新宿区の旧S町、現Wにとても似ている。
■http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CSUYHO/qid=1140296626/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-6740792-4982611
すごくイイ。全曲イイ。フジロックで観たかった!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163678204/10000kmnokana-22/ref%3Dnosim/250-6740792-4982611
ワインについての知識はもともとゼロなので、これを読んでも、知識的な部分についてはちんぷんかんぷんだった(この本が難しいというより、基礎的な用語とかも全然わからないので内容が頭に入ってこない的な意味で)。
でも、そんなことはどうでもいいっていうくらい、全部で8人の、イタリアのワインのプロ(醸造責任者や葡萄の栽培責任者など)たちへのインタビューがすごかった。というか、この本は、むしろ、ガイド本というより、8つのインタビューが肝だと思います。
8人のヒトが色んなことを語っているのだけど、それを無理やり一言に集約させれば、「ワインは(葡萄からできる)農作物であり、その葡萄が育った土地、気候から生れるものである」ということ、だと思う。
それって当たり前のことみたいだけど、インタビューを受けたどの人もその部分にこだわりを持っている、というか、それをしごく当然のことと認識してるってことに感銘を受けた。日頃、地球が土で覆われてるってことも忘れてるな、と思ったり。
以下、ワイン職人たちの言葉の中から、感銘を受けたもののごく一部を抜粋。
・ワインを飲めば、その場所がどんな所かは大体想像がつくようになった。
・葡萄の木はワインを造るために生きているのではなくて、種を守るために生きている。だから良いワインを造らなければ自然=葡萄に対して失礼だと思っている。
・土地はお金や利益を生み出すために所有するものではない。”何か”を生み出すために使われるべきものだ。
・(葡萄と土地の相性が)本当に良いかどうかは、あと50年くらいしないとわからないだろうね。
ラベル(というか銘柄、名前)は同じでも、収穫年、熟成期間によって味が全然違ってくるし、同じ葡萄の品種でも育てる場所によって変わってくる。当たり前のことかもしれないけど、改めて、世界中に流通してて、僕なんかが飲んだりしてるものの中に「そういうもの」があるっていうことがすごいなと思う。
追記:
この本は、そういう意味で、今流行の(?)ロハスとか、スローフードとか、(反)グローバリゼーションみたいなことについて考えさせられた(というか、そういうことについての日本とイタリアの違い、みたいなことばかり考えながら読んでいた)。なんでか、彼らイタリア人の言うスローフードにはリアリティを感じるだけど、日本人(NPOのヒトとか)が言うスローフードって、こう言っては悪いが信用できないんだよな。なぜだかあんまり友達になりたくないタイプが多い。代官山のおしゃれカフェで「地域通貨」について熱く語られてもなあ、というか。理念自体、否定する気はないんだけど、日本でそういうことを語るのはすごく難しいと思う。
■滋賀の幼稚園児殺害の事件。
眉をしかる前に、事件についてもっと詳しく知りたいと思ってしまうのは不謹慎なのだろうか。
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今日、品川区のとあるエリアを歩いた。
「すぐに引越す」というわけではないのだが、この辺はどうかな、と引越し先候補のひとつとして偵察散歩を試みたのである。
そのエリアは一体にはとてもどんよりした空気が流れていて、言葉は悪いが、都心にあって打ち捨てられたような雰囲気をもった一帯だった。行政区画としてではなく、街の雰囲気、建物、がはっきりと外部から線引きされているようなエリアだった。周囲から隔絶されるように落ち窪んだ地形、荒れ放題の小さな林、朽ち果てた木造家屋、隠れるように佇むS学会の施設、街灯の数も極端に少ないetc。。。街の来歴みたいなものが気になって色々検索してみたら、「法律の規制云々のため検索結果が削除されました」といった表示が出た。不可解。横山源之助の著書にも出てきた新宿区の旧S町、現Wにとても似ている。
■http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CSUYHO/qid=1140296626/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-6740792-4982611
すごくイイ。全曲イイ。フジロックで観たかった!
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