3月20日の日記

2006年3月20日
■久々実家。
ホント、もっと帰らねばな、と思う。
東京タワーは読んでないけど、親孝行は気づいてからじゃ遅いんだろうな。。。

■夕食の充実ぶりに感動。
空腹に耐えかね、最寄駅前のコンビニでコロッケパンを買い食いしたことをちょっと後悔。何かの「くぎ煮」(大好物)や、ほたての刺身、鮭(か何か)の粕漬け、etc...&ビール。

■一日中、表で仕事をしていたため、雨と風に曝される。

■F1、タクマの走りに涙腺決壊寸前。

■ディープインパクトが帰ってきた!

■まえがきの冒頭しか読んでないけど。
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「何かをわかるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる」

という書き出し(正確には、この前にひとつだけ短い一文があるけど)に「こ、これは」という予感。面白そう。

■梅干とテロ
私、食べ物の好き嫌いはほとんどないのですが、梅干はかなり苦手。子供の頃、あの酸っぱさが苦手で全然食べられなかったけど、20ウン歳になった今、もし会社から「梅干食べたらボーナス2倍!」と言われれば、おそらくそんなことなら朝飯前って感じで食べられる自信がある。とはいえ、そんな(あったらいいけど絶対ありえない)ニンジンでもぶら下げられない限り、これから先、滅多なことでは梅干を口にしないと思う。

。。。

何が言いたいかというと、その、たぶん、今食べてみれば、吐いてしまうほど嫌いな味ではないだろうし、もしかしたら、「飯が進むね!」とか言ってしまいかねない梅干というものに対して、僕の中であくまで「心理的に」拒絶・抵抗している感覚が、もしかして、テロとか差別っていうものの根本にある感情と近いんじゃないかな、とふと思ったのです。

幼稚園時代、半泣きになりながら給食で出された梅干を牛乳で流し込んだ悲しい記憶。そのときの気持ちを、未だに、「今は大丈夫だから」で簡単には撤回できない、プライドなのか何なのか変なこだわり。身体より観念。でも、ある意味、その観念が肉体化してしまっている状態というかその辺のところが似ているような気がして。

実はもずくも苦手だった(なんだかああいう、よくわからない酸っぱさみたいなのが苦手だったらしい)。でも、あるとき、激旨もずくを食べたことがきっかけでむしろ好物になった。たった一度、激旨もずくを食べただけで、一気に他のもずくまで好きになれる。この感情は何なんだろう?

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