10月9日の日記
2006年10月9日「とばっちり」という言葉を使っている方がいたが、本当にそうだと思う。
いや、北朝鮮のもそうだけど、もうちょっと一般的な意味で、たとえば、新しい内閣が目指そうとしている教育の在り方、みたいなことについて、そんなことを思った。
他人を思い、社会を思い、国を思う、公の精神(とかなんとか)。
この際、美しい美しくないはどっちでもいいんだけど、ただ、すごく、当たり前のこと、自分を大切に思っていなければ他人を大切に思うこともできない、っていうのをやっぱり忘れてるよな、と思う。さじ加減は相当難しいのかもしれないけど、まず大切にすべきは他人ではなくて自分。リュウムラカミじゃないけど、そこを飛ばしてしまったら始まらない、始まっても胡散臭い、最後には「とばっちり」が待っている、と思う。
つくづく、くるりは最高。
いや、北朝鮮のもそうだけど、もうちょっと一般的な意味で、たとえば、新しい内閣が目指そうとしている教育の在り方、みたいなことについて、そんなことを思った。
他人を思い、社会を思い、国を思う、公の精神(とかなんとか)。
この際、美しい美しくないはどっちでもいいんだけど、ただ、すごく、当たり前のこと、自分を大切に思っていなければ他人を大切に思うこともできない、っていうのをやっぱり忘れてるよな、と思う。さじ加減は相当難しいのかもしれないけど、まず大切にすべきは他人ではなくて自分。リュウムラカミじゃないけど、そこを飛ばしてしまったら始まらない、始まっても胡散臭い、最後には「とばっちり」が待っている、と思う。
つくづく、くるりは最高。
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